ありたい自分って何?

お悩み相談

ペンネーム「リド」さんからのお便り

私は、病気によってできないことがたくさんあります。でも、できないことなのに“やりたい”と思ってしまいます。そして、自分ができないことをできる人が羨ましいです。頑張っても願っても叶わない思いを持つ意味って何なのでしょうか?

これから先、できないことが増えて“ありたい自分”と実際の自分との差が広がっていくとともにどんどん生きていくのが辛くなりそうです。どうしたら考え方を変えられますか?




ボク、ココだよ。

リドさんの病気はずいぶん重いのかな。

自由に動いたりもできないのかな。



にゃんというか、歌舞伎町のゴミ箱を飛び越えるとか、明け方酔っぱらって歩いているホストの股の間を駆け抜けるとか、かっこいい猫ができることができないと、ボクだってちょっと落ち込むよ。



なんでもできる猫って、やっぱ、ほんとうにかっこいいなって思う。自分はそうじゃないから。どうもなんだかみじめでさ。ボクは猫には向いていなかったんじゃないかってね。他の新宿の猫たちとつるむのもあんまり得意じゃない。



だけど、ボクにはボクの生き方というものがあるのかもしれない。そんなふうにも思うんだ。花園神社の境内の裏でずーっと空を見てたり、風がそよぐ音を聴きながら、そこに音楽を感じたり。



ちょっと考え方を変えてみるっていうのかな。できないことがあるのは仕方がない。でもその分だけ、精一杯にこの世界を受け止めてやろうと思うんだよ。すると、意外とこのボクが、一番大きな器の猫なのかもしれないと思うときもあるんだ。だって、そのとき、ボクは世界と友だちなんだ。一匹の猫がやれることなんて、どんなにかっこよくても知れている。世界と友だちになった猫の方が、ずっとずっと大きくて、ずっとずっと風の歌を知っているとは思わないかい?

リドさん、つらいときがあると思うけれど、今日一日に見たお花の名前を数え上げるといいよ。今日一日に聞いた小鳥たちの声を覚えるといいよ。もちろん、今日一日に見かけた猫たちの顔もね。そうやって世界を受け止め続けると、リドさんは、リドさんだけの鮮やかな時間を重ねていくことになるよ。ボク、ココだよ。覚えておいてね。